韓国語の翻訳に追われた週末。戸籍は人生をあらわす。

先月後半から、韓国語の翻訳のお仕事が相次いで入って、何人かいる翻訳者に手伝ってもらっていたのですが、先週から頼む予定だった翻訳者が都合が悪くなって、また一番の頼みの綱の翻訳者の人は韓国から親戚がくるからしばらくできないとのことで、少し残っていた部分は結局休み返上で私が翻訳しました。

 

戸籍の翻訳はおそらく韓国人ネイティブや他の翻訳者が訳すより私が訳したほうが早いです。

というより、私は日本の戸籍も韓国の戸籍も(日本の制度なので元は同じですが・・・)数えきれないくらい読んできたので、他の人のように読みにくい縦書き戸籍に対しても全くアレルギーがありません。

翻訳するスピードは、一般の人が判読に時間を要する縦書き手書き戸籍でも、このブログを書いているぐらいの普通に日本語の文章を打つぐらいのスピードでできます。

もちろん、ハングルから漢字の本籍を調べたり、過去の日本の地名を漢字で調べるのには時間を要しますが、それでも他の人が翻訳するより格段に速いし正確だと思います。

これはただ単に「韓国語を日本語に翻訳する」というより、内容を理解した上でのきちんとした「戸籍」を作る気持ちで人間関係を頭にインプットしながら訳して行くからです。

なので、翻訳が終わったらその戸籍に載っている人の家族構成が頭に浮かび、ひとつの世代の終了やその次の世代の人たちが生きている代々受け継がれていく様子が印象に残ります。

韓国は200811日より戸籍制度がなくなり、家族関係登録制度に代わっていますが、家族関係証明書は戸籍に比べて味気ない。深みがないですね。個人情報を保護するという観点からはいいのかもしれませんが、ここまでせなあかんか?とも感じます。

私は根っから「戸籍好き」なんですね。

ある人の人生が見えてきます。時には、通常では考えられないような不幸ばかりで一生を終える人の戸籍をみて心を痛めたり、子供が10人もいるお母さんの名前を尊敬のまなざしで見たり、若く亡くなった弟の子を養子にして育ててあげたんだなと、人情の厚さをしみじみ感じたり・・・

戸籍は人生そのものです。

ある人が生まれてから死ぬまでの戸籍を毎日のように目にしています。

戸籍を常に読んでいるこの仕事をしていると、人間は死ぬんだと当たり前のことを常に感じます。

だからこそ、精一杯生きいないとあかん!!と。

 

翻訳の仕事も楽しいです。が、今はその余裕がない・・・

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